暴力で子供に怪我を負わせた監督
以前、少年サッカーチームの監督がチームに所属する少年2人に対し、頭を蹴って怪我を負わせる事件がありました。
被害を受けた少年2人は頭部や頸部に打撲や挫傷を負ったばかりか、怪我や加害者である監督に恐怖を覚え、チームをやめてしまったそうです。
この加害者である監督は傷害容疑で書類送致されチームは自粛。しかし、別の子供や保護者の要望により、監督続投という形をとって活動を再開しました。
加害者である監督に続投を求めた保護者は、体罰は許されないとしつつも
子供たちの監督への信頼も強いものがる
と語ったそうです。
この監督は信頼されていた『良い監督』であり、事件を起こしたものの『一度の過ちは許そう』といった感じでしょうか?
そもそも、選手やその保護者から見た良い監督ってどんな監督でしょうか?
今回の記事は、その辺りについてお話ししたいと思います。
本当に良い監督
本当に『良い監督』とは、スポーツの技術のみならず、しっかりと教育できる人物です。
ここでいう教育とは、以下のようなことを教えることです。
- 団結力
- 忍耐力
- 責任感
- 規律
- 判断力
- 決断力
- 行動力
- 勇気
スポーツは人格形成に役立ちますので、そういったことを教えられる人物が監督の理想像でしょう。
しかし、教育は即効性があるわけではありません。
指導されている最中は
うるさいなぁ・・・
と思う子供も多いと思います。
でも、歳を取って振り返った時に
あの時教わったから、今の自分があるんだ
と感じることもあるでしょう。
ですので、本当に良い監督と言っても、その瞬間はそう感じられないことも多いんですよね。
選手や保護者からみた良い監督
選手やその保護者からみた良い監督とはどんな監督でしょうか?
それは自分や自分の子供を試合に出してくれる監督です。
いくら人格形成に役立つ指導をしてくれる監督でも、自分を試合に出してくれない監督は良い監督とは思わないものです。
試合に出て活躍したい!と思うのは選手なら当然のことです。わが子の活躍を見たい!と願うのも保護者なら当然でしょう。
誰が見ても『この選手は試合に出て当然』と思える選手はいいとして、試合出場が微妙な選手やその保護者は気が気じゃないでしょう。
そんな中、試合に出してくれる監督を『良い監督』と感じてしまうのは当然のことかもしれません。
保護者のエゴを押し付けるな!
冒頭にお話した、少年サッカーチームに所属する少年の頭を蹴る事件を起こした監督。
こんな監督でも、擁護する子供や保護者がいるのは『試合に出してくれる=良い監督』と思っているからです。
この監督に評価されていない選手やその保護者からすれば、続投して欲しくないと思ったでしょうしね。
また別の見方をすれば、チームの自粛を解くためにやむを得ず続投させた可能性もあるでしょう。
監督自身に問題があったとしても、何の罪の無い子供達の活動の場が失われた状況は、決していいとは思えませんからね。
特に、地域スポーツの監督はほぼボランティアですし、なり手が少ないです。新しい監督を見つけるのもたやすくありません。
だからといって、
子供たちの監督への信頼も強いものがる
なんてコメントを残す保護者もどうかと思いますけどね。
先ほど説明した通り、この件に無関係で試合に出れる子供は『良い監督』と感じているでしょう。
と同時に、早くチーム活動を再開して欲しいと思っているのは当然です。
でも、こんなものは信頼ではありません!
ましてや、暴力を振るった監督は『本当の良い監督』ではありません。絶対にね。
人格形成に役立つ教育ができる監督なら、たとえ体罰を加えてしまったとしても、怪我をさせることなどないんです。
人の頭を蹴るなんて外道もいいところ。人の道から外れているでしょ!
短絡的かつ稚拙な行動を取った人間に対し、子供の総意だと言わんばかりに『信頼がある』なんて軽々しく言って欲しくないですね。
そんなのは保護者のエゴでしかないのですから。