2023年2月のトレード収支
- スキャルピング + 0pips
(2023年トータル -34 pips)
2023年2月はたった2回しかトレードしておらず、勝敗は1勝1敗、+0.1pipsでした。
ある程度のボラティリティはあったと思いますが、個人的には明確な動意を感じられませんでした。よって、ほぼ観察に費やした1ヵ月となりましたね。
ただ、トレードがあまりできなかった理由はそれだけでなく、他の理由もあるんです。細かい話は後ほどにして、とりあえず2月の詳細な成績を載せておきます。
- 1勝1敗、勝率50.0%
- +0.1pips
- ペイオフレシオ 5.000
- 運用資金に対する最大損失の割合 1%以下
バルサラの破産確率・・・0%
※下記リンク記事にバルサラの破産確率の説明、および破産確率表を記載してあります。ちにみにバルサラの破産確率が1%を超えると危険だと言われています。
娘のインフル、妻の新型コロナ感染・・・
2月に入ってすぐ娘がインフルエンザにかかってしまいました。子供がインフルになってしまうとほぼ一週間は出席停止となりますので、親の負担も大きいです。
幼児のように付きっ切りになる必要がない点は楽ですが、それでも隔離する生活は大変です。食事やトイレ、入浴など、普段と異なる段取りが必要になりますからね。
そんなこんなで、ようやく娘が学校に通えるようになったのですが、間もなくして妻が新型コロナ陽性判定に・・・
陽性判定と言っても「無症状」でしたので、体調面で心配することが無かったのが不幸中の幸いでしたが、同時に我々家族は濃厚接触者になりますので、途端に窮屈な生活になってしまいました。
このような場合、外出できないので自治体から食料をもらえる話を聞いていたのですが、よくよく調べるとそれは「発熱等の症状がある場合」だそうで、我が家は一切の支援は受けられませんでしたw
偶然、タイミングよく冷蔵庫は満杯状態+買い置き食料も潤沢な状態でしたので、食べ物にはほとんど困りませんでしたが、たまたまタイミングが悪かったらどうするんでしょうね?
結局、この騒動も一週間の期間を要しましたので、2月の半分は不自由な生活を強いられたことになります。もちろん家に缶詰め状態でもトレードはできますが、やらなくてはいけないことが多いと気分的にもトレードしたくありません。もちろん、ぱっと見で「いける!!」という状態ならトレードしたと思いますが、そのような相場環境ではありませんでしたからね。
3月の展望+雑談
日銀の次期総裁が植田和男氏に決まりました。現状の黒田日銀路線を継承する見込みであり、とりあえず日本の今後を考えるなら、良い人選だったと思います。
「日本だけが頑なに金融緩和を続けている!どうして欧米みたいに利上げしないんだ!」
なんて声も聞こえてきそうですが、それは長い間煮え湯を飲まされ続けた銀行系のスポークスマンか、ただ単に金融政策の中身を知らない本当に残念な人かのどちらかだと思います。
いつも思うんですが、「なぜ日本だけGDPギャップを埋めるだけの財政出動をしないんだろう?」と考えないんですかね?日欧米を比較したとき、根本はこの財政出動に違いがあり、その結果として金融引き締めと金融緩和に分かれているだけに過ぎないんですけどね。
ドル円相場は心地良いレートなのか、明確な動意は起こりにくい状況が続いています。ボラティリティはそこそこあるので勘違いしやすいですが、カウンターが出やすい相場環境ですので、スキャルピングで攻めるにはリスクが高いと判断しています。
■ノートPC派?タブレット派?
先月の収支報告記事(【2023年1月トレード収支】大敗。娘の中学受験。しんどい1ヵ月。)でお話しした通り、今年の4月から娘が中高一貫校に入学します。我が家では中学生からノートPCを持たせるようにしています。
昔からノートPC派とタブレット派に分かれる傾向にありますが、ぶっちゃけタブレットなんてありえねーだろ!と思っています。まして、子供に買い与えるものに対しては特にね。
タブレットはクリエイティブ用途に不向きですし、今後どのような使い方をするか分からない子供に対し、可能性を狭めるデバイスは与えたくありません。もちろんハイスペックなタブレットもありますが、絶対にパソコンで操作した方が楽でストレスが溜まらないですから。
昔、とある保護者に「子供に買い与えるタブレットは何が良いですか?」と質問されたことがあります。「タブレットで何がしたいんですか?」と聞いてみると、「動画鑑賞」とのこと。その時は「お金を出す余裕があるならipad、あまりお金をかけたくないなら中華タブ」と答えましたが、まぁくだらない質問ですよねw
子供にパソコンを買い与えない人って、親自身がパソコンを使っていないケースが多いと感じます。パソコンなんて習うより慣れろだと思うので、早い時期に買い与えても良いと思うんですけどね。動画鑑賞しかしないタブレットを買い与えるより100倍マシですから。
■ノートPC、日本メーカーのオワコンを再確認
娘用のノートPCはASUS製にしました。我が家では共用PCとしてデスクトップPCを設置しているのですが、娘はイラストソフトを使ってイラストを書いたりしています。現状の使い方と将来の使い方を考慮して、ある程度のスペックを持つノートPCを買い与えたいと思っていたのですが、選定にあたって日本メーカーのオワコン具合を再確認しました。
娘のノートPCのスペックは、【CPU】core i5(12450H)、【メモリ】16GB、【ストレージ】512GB SSD、【グラフィック】RTX3050 Laptopで、価格は12.5万円。日本メーカーなら20万円を超すでしょう。
さらにビックリするのが、日本メーカーの場合【CPU】旧型のcore iシリーズまたはRyzenシリーズのU(低消費電力版)、【メモリ】8GB、【ストレージ】256GB、【グラフィック】CPU内臓、くらいの低スペック品にも関わらず、平気で10万円くらいの値段がすることです。
こんなスペックに10万円も払うのは情弱な人だけ。にも関わらず、家電量販店に行くと日本メーカーのノートPCが数多く展示されており、何やら深い闇を感じてしまうのは私だけではないでしょう。
お金が有り余って仕方のない人なら別に好きなものを買えば良いと思いますが、少しでもコスパを求めるなら、日本メーカーのノートPCは買ってはいけません。さらに言えば、日本メーカーのPCってウイルスみたいなソフトがもれなくついてくるので、それも鬱陶しいです。
個人的にノートPCを選定するにあたり、ゲームをする・しないに関わらずゲーミングノートPCを選んだ方が良いと思います。子供に買い与えるなら尚更ね。理由はキーボードの打感が全然違うからです。最近のノートPCは薄さを追求するあまり、貧弱なものが多いんですよね。キーストロークが浅すぎて、本当にイライラします。
ゲーミングノートPCは基本的にキーストロークが比較的深いものが多いですし、キーボードがたわむようなものは少ないですから。
■プロレスラー武藤敬司引退
2023年2月21日、プロレスラーの武藤敬司が引退試合を行いました。
このブログを開設以降、プロレスのことには一切触れていなかったのですが、実は私、昔は大のプロレスファンだったんですよね。中学・高校・大学(大学院)までは新日・全日関わらず良く見ていましたし、世代的にも三銃士&四天王時代にドンピシャですので。
武藤と言えば1995年のバク進劇が挙げられますが、個人的に印象に残っているのは1992年8月16日、福岡国際センターで行われた長州力とのIWGP戦(&グレーテスト18クラブ王座)。この試合は武藤敬司ではなく「グレートムタ」としての試合であり、赤と黒のツートンverでした。
この試合にムタが勝ち、三銃士の中では初のIWGP王者になった訳ですが、この試合はノーTVだったんですよね。どうしてもこの試合を見たかったので、「闘魂Vスペシャル9」を購入したほどです。この試合は試合後のムタの暴れっぷり(消火器噴射!)ばかりが語られるのですが、確かに試合内容はあっさりしておりあまり面白くありませんでした(汗)
ちなみに、この6日後の1992年8月22日、全日では超世代の三沢光晴がスタン・ハンセンをエルボーで倒し、これまた後の四天王の中で三冠王者一番乗りを果たしました。両メジャー団体ともに、新時代を感じさせる展開となり、とてもワクワクした記憶があります。
1995年に関してはUインターとの高田延彦戦がクローズアップされがちですが、「IWGP王者はG1を制することができない」というジンクスを打ち破った、G1クライマックスも素晴らしかったです。VS越中、VSフレアー、VS蝶野、VS橋本とハズレなしで面白かったですから。個人的には引退間際まで使っていた、カウンターで繰り出すフランケンシュタイナーが好きでした♪終盤の逆転劇を演じる最高の技のひとつです。
プロレスってストーリーを楽しむものだと思いますが、武藤敬司は1試合で観客を虜にするプロレスラーでした。入場すればロープを軸に転回して入ってきますし、技のひとつひとつが無駄にカッコいい。フラッシングエルボー、スペースローリングエルボー、ムーンサルトプレス(辻よしなり風に言えばラウンディングボディープレス)など、一目で「この選手は他の選手と違う・・・」と感じさせる雰囲気がありましたからね。
ムーンサルトを使うレスラーの宿命で昔から膝が悪く、当時を考えると、まさか60歳まで現役を続けるとは思いませんでした。志半ばで亡くなってしまった橋本や三沢のことを考えると、最後の最後で実現した武藤VS蝶野は感慨深いものがありましたよ。
プロレス団体が乱立し格闘技(K1やPRIDE)に追いやられた2000年代、就職を機に徐々にプロレスを見なくなった私ですが、何となく区切りがついたような気持と寂しさが入り混じった感じです。