センスとは?
センスという言葉がありますよね。
スポーツのみならず、仕事やプライベートにわたりよく耳にします。
一般的には、
物事を上手にこなしている
ことを表現している言葉です。
野球でも、
あのショートはセンスが良い
この子はバッティングのセンスがあるね
と言った具合で使われます。
私は、このセンスという言葉が嫌いです。
もちろん、私もこの言葉を全く使わない訳ではありません。
たまに使うこともありますが、出来るだけ使わないように意識しています。
無知をごまかす言葉
『センス』という言葉は、あることを褒めたり、賞賛するのに便利な言葉です。
しかし、『何が優れているか』など、具体的なことを分かっていない人ほど使ってしまう言葉です。
バッティングのセンスがある
なんて軽々しく言う人ほど、その子のバッティングの良い点、優れている点を理解していません。
だから『センス』という、便利な言葉に逃げているのです。
同じように、
・天才
・才能がある
も同様です。
こういった言葉を使う人は、結果論で物事を語ります。
そのプロセスにおいて、『天才』や『才能がある』と語られることは、まずありませんからね。
指導者の無知をさらけだす「天才」の使い方
エースの投げる速球の秘密は・・・
私が高校球児のとき、同級生のエースは凄い球を投げていました。
投げるボールは確かに速いのですが、それだけでなく
球が浮いてくる
のです。
もちろん物理的に浮くはずがありませんから、私がそう体感しただけです。
私は彼の投げる『浮く球』の秘密に興味がありました。
野手でも、速い球を投げられることに、こしたことはありませんからね。
ある日、監督が部員全員の前で彼を褒めることがありました。
私は『彼の投げる球の秘密が聞ける』と思って、真剣に聞いていました。
でも、監督が言った、エースの投げるボールの秘密は
天性の背筋力がもたらすもの
でした。
日々の練習の中で筋力トレーニングをやっていますし、データも記録しているので、彼も持っている筋力も知っています。
チームの中で、特にずば抜けている訳ではありません。
私は『天性の背筋力』が何を示唆しているのか分かりませんでした。
しょうがなく
持って生まれたものが違う
と解釈し、がっかりした記憶があります。
当時の夏の大会のTV中継を録画しておいたので、高校野球を引退してから、彼の投げるフォールを何度も見直しました。
彼だけでなく、プロで活躍する選手のフォームも比べながら、見直すと共通点など見つかり、『共通する合理的な動作』に気付きました。
今でも、『天性の背筋力』について理解出来ませんし、当時、監督も彼の投げる球の原理を理解していなかったと確信しています。
「天才」イチロー
メジャーで活躍し続けているイチローについても同様です。
イチローの打撃動作は、バックスイングから体重移動を経て、フォワードスイングに移る際、回転軸が左足(後ろ足)から右足(前足)に移ることが特徴のひとつです。
私が高校球児のとき、監督が指導する打撃動作とは相反するものでした。
しかし監督は、NPBで高いレベルの結果を出し続けるイチローを否定できないので、
イチローは天才だから真似をするな!
と言っていました。
当時は、私の野球部の監督だけでなく、野球評論家も同様な見解が多かったです。
『イチローはあんなフォームでも打てるから天才だ』と。
しかし、高い実績を残す人には合理的な理由が必ずあります。
何事も原理原則があるように。
指導者が使ってはいけないフレーズ
指導者、特に年齢が低い子を指導する方には、
センス・天才・才能がある
という言葉を使って欲しくありません。
本来、『センス』『天才』『才能』は努力によって培われるものです。
仮に、凡人がいかなる努力をしても到達出来ないレベルに『天才』がいるとしても、使ってはいけません!
その『センス』『才能』のない子は、『天才』のいるレベルを目指せないのでしょうか?
そのレベルに到達出来なくても、少しは近づけるはずではないでしょうか?
そのようなフレーズを使って指導することは、努力の妨げになるだけです。
指導者全てが、高い知識や実績を持っているわけではありません。
まして、少年野球に代表される学生野球に携わる指導者は、ボランティアで成り立っている現状があり、全く野球に携わったことが無い人も多いものです。
ただ、私はそういった指導者の知識の無さなど、何も問題ないと思います。
知識があっても、本当に正解なのかも分かりませんしね。
問題なのは、知識が無いのに知ったかぶりをして、『センス』『天才』『才能』という言葉に逃げることです。
その結果、選手を困惑させたり、努力の足かせになることだけはして欲しくありません。