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中日ドラゴンズ助っ人外国人列伝② タイロン・ウッズ

中日ドラゴンズ
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ウッズの日本での成績

タイロン・ウッズは2005年~2008年まで中日ドラゴンズに在籍した選手です。

2003年に横浜ベイスターズに入団し、横浜で2年間プレー。

2003年は40本塁打、2004年は45本塁打で共に本塁打王に輝いています。

 

そんな実績をひっさげ、2005年に中日ドラゴンズに移籍します。

日本での主な成績は以下の通りです。

2003年 横浜ベイスターズ

.273、40本、87打点、OPS.921

2004年 横浜ベイスターズ

.298、45本、103打点、OPS1.007

2005年 中日ドラゴンズ

.306、38本、103打点、OPS.963

2006年 中日ドラゴンズ

.310、47本144打点、OPS1.037

2007年 中日ドラゴンズ

.270、35本、102打点、OPS.904

2008年 中日ドラゴンズ

.276、35本、77打点、OPS.904

赤字はタイトル

 

まさに、中日ドラゴンズ球団史上・最強の助っ人外国人選手と言っても過言は無いでしょう。

 

ウッズの思い出

ラスボス感が凄い!

中日ドラゴンズ在籍時、不動の4番に君臨していたウッズですが、応援歌もウッズの雰囲気に合っていました。

なんと言っても、応援歌の前奏曲が良い!ものすごいラスボス感がありましたし。荒木 → 井端 → 福留 → ウッズ・・・打順からしても、まさにラスボス。

当時、この前奏曲がトラウマになった巨人ファンや、阪神ファンの方も数多くいらっしゃったんじゃないでしょうか?

↓ ウッズ応援歌(前奏曲あり)

打者としてウッズの特徴

ウッズは右打者でありながら、ライトへのホームランが多いことが特徴。助っ人外国人はプルヒッター(引っ張る打者)が多いので、ウッズは珍しいタイプでした。

広いナゴヤドームでも、右中間やライトへ軽々放り込んでいましたからね。もちろんセンター、レフトへもホームランが打てます。

東京ドームでは、右打者では珍しいライト方向へ看板直撃弾も放っています。

↓ ライトへの看板直撃弾

 

ウッズはベースから離れて構えるタイプでした。内角をさばくことがあまり上手くなく、反対に外角の甘いボールが好きな打者です。

絶好調になると『どんなボールでも打ち返せる』ようなタイプではなく、『甘いボールを捕らえる精度が増す』タイプ。

他球団のウッズに対する攻め方は、アウトロー&インハイが主でしたが、選球眼が良いので、落ちる球やボール球をブンブン振り回すような打者では無かったですね。

 

印象に残るホームラン

ウッズが数多く放ったホームランの中でも、個人的に印象に残っているものを挙げたいと思います。

優勝を確信した本塁打

2006年10月10日の巨人戦(東京ドーム)で放った、2本目のホームラン。この日、中日ドラゴンズは2006年のペナントを制します

延長12回、満塁のチャンスから福留のタイムリーで1点を勝ち越し、迎えたウッズの打席。高橋尚のボールを捕らえた打球は、優勝を確信させるグランドスラム(47号)でした。

私は、BSでこの試合を見ていましたが、体勢を崩しかけて打ったので、打った瞬間は外野フライだと思いました。それが何と特大ホームランですから、末恐ろしかったです。

 

ちなみにウッズはこの試合の4回にも、46号3ランを放っており、この日だけで合計7打点を挙げています。

このシーズンは同じく優勝した2年前(2004年)より戦力が厚く、投・打・守とも圧倒的なチーム成績。

ペナント終盤も首位をキープしていましたが、2位・阪神の追い上げがきつく、ペナント終盤でも安心できない展開が続いていました。

応援するファンもきつい状態でしたが、選手・首脳陣はもっときつい状態だったと思います。その辛い状況を解き放った打球は、ファンもろともスッキリさせてくれた一撃だったのです。

↓ 優勝を確信させる47号満塁弾

藤川を粉砕した一撃

2008年10月20日の阪神戦(京セラドーム)の9回に放った、決勝ホームランです。

この試合はクライマックスシリーズの第1ステージで、1勝1敗で迎えた第三戦。中日・吉見阪神・安藤の投げ合いで始まったこの試合は、0-0のまま9回表を迎えます。

当時、阪神のクローザーは絶対的な存在だった藤川球児

その藤川を相手に2アウト3塁、フルカウントから150km/hのストレートを捕らえ、打った瞬間それと分かる決勝2ランを放ちました。

ウッズらしい豪快な打球でしたね。

↓ CSで放った決勝2ラン

 

5億の置物?

ウッズは得意なボール(真ん中やや外目)には滅法強い反面、苦手な内角高めとバットが届かない外角ギリギリは全然打てない打者でした。

ですので、相手投手が正確なコントロールで攻めてくると、何も出来ず打てないケースが多々あります。

特にウッズはシーズン序盤(春先)はなかなかエンジンがかからず、ただ外角を見送り『置物化』することがありました。

 

中日に移籍してから推定年俸5億円と報道されていたこともあり、『5億の置物』などと言われていたことを思い出します。

外角ギリギリのボールが打てないウッズに対し、

もう少し、ベースよりに立てばいいのに

と思っていたのは、私だけではないでしょう。

 

頼もしい4番打者

ウッズが中日ドラゴンズで残した打撃成績は、素晴らしいの一言です。

それ以上に、当時ライバル球団だった巨人・阪神との試合で、随所に見せた効果的な一打はファンから見ても、頼もしい選手でした。

守備、走塁ではチームに貢献出来ない選手でしたが、打撃に関しては唯一無比な存在だったのは言うまでもありません。

繰り返しになりますが、中日ドラゴンズ球団史上・最強の助っ人外国人選手はウッズで間違いありません。

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