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中日ドラゴンズ助っ人外国人列伝① アレックス・オチョア

中日ドラゴンズ
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アレックスの日本での成績

アレックス・オチョアは2003年~2006年まで中日ドラゴンズに在籍した、右投げ右打ちの選手です。

その後は、2007年~2008年まで広島でプレーし、日本を去ると同時に現役を引退します。

日本での主な成績は以下の通りです。

2003年 中日ドラゴンズ

.294、21本、65打点、OPS.834

2004年 中日ドラゴンズ

.294、21本、89打点、OPS.839

2005年 中日ドラゴンズ

.269、18本、78打点、OPS.745

2006年 中日ドラゴンズ

.273、15本、77打点、OPS.761

2007年 広島東洋カープ

.300、7本、31打点、OPS.785

※規定打席未到達

2008年 広島東洋カープ

.306、15本、76打点、OPS.785

 

非常に安定した成績を残した選手です。引退前年の成績も別に悪くないですしね。

尚、アレックスはユニークな記録も持っています。

・史上初のMLB、NPBでのサイクル安打達成者

・サイクル安打を本塁打→三塁打→二塁打→単打の順番で達成(NPB初)

・セリーグ初、開幕戦サヨナラ満塁ホームラン(2005年)

 

アレックスの思い出

みんなが驚くぐらい自信がある

2002年オフに当初入団予定だったケビン・ミラーが急遽、中日に入団せず、ボストン・レッドソックスに入団してしまう事態に陥ります。

ミラーに代わり、中日が獲得した助っ人がアレックスです。

こんな経緯があるためか、アレックスはファンから好意的に見られていたような気がします。

 

2003年シーズン開幕前にアレックスは、

みんなが驚くぐらい自信がある

と言っていました。

アレックスはセンターで開幕を迎え、巨人との開幕3連戦では強肩をいかんなく発揮します。

その強肩はアウト・セーフを超越し、ただただ驚いたファンも多かったのではないでしょうか?

↓ 2003年 強肩を披露するアレックス

 

東海ラジオでのCM

東海ラジオを聴いていた人は、覚えている方も多いのではないでしょうか?CM中、突如アレックスの応援歌が流れるアーレックス株式会社のCM。

山本昌アレックスがこのCMに登場します。

詳しいセリフは覚えていないのですが、

アレックスハボク!ソレハ、アーレックスダヨ!

というアレックスのセリフがありました。面白い訳じゃないんですが、なんともほっこりするようなCMだった気がします。

印象に残るホームラン

アレックスと言えば、なんといっても2004年4月7日、ナゴヤドームでの巨人戦でのサヨナラホームランです。

落合監督初年度ですね。私の記憶が正しければ、中日リードの9回表に巨人に逆転されてしまいます。たしか岩瀬がぺタジーニに被弾したような・・・

そんな中迎えた、9回裏二死一二塁で打席に入るアレックス。

 

巨人前田の初球を捕らえ、打った瞬間ホームランと分かる逆転サヨナラ弾!

落合監督が感情を表に出し、ホームインしたアレックスと抱き合うシーンは、後々話題になりました。

アレックスのホームランは、あんな感じの打球が多い記憶があり、『いかにもアレックスらしいホームラン』だったと思います。

↓ 逆転サヨナラ3ランを放つアレックス

 

コネックス?

打席に入ると、手に唾を大量につけ、滑り止め代わりにしていたアレックス。

バッティンググローブはつけているのに・・・

それはそうとアレックスの打撃フォームは、いかにも引っ張りそうで、バッティングの調子が悪いときはよくこねてしまい、ショートゴロやサードゴロを打ってしまいます。

 

それを捩られ、某巨大掲示板では

コネックス

と書かれていたのを覚えています。

たしかにチャンスにアレックスの打席が回ってくると、

こねるなよ~

と私は思っていましたし、同様の想いをしていたファンの方も多かったと思います。

超メジャー級の守備と衰え

アレックスは守備に関して、超メジャー級の選手でした。しかし、年を追うごとに守備は衰えていきます。

当時の中日ドラゴンズは内野・外野問わず守備のレベルが高く、アレックスに要求するレベルも高かった。

特に、試合後半に守備固めで英智がレフトに入ると、英智・アレックス・福留と鉄壁の外野陣を形成していました。

その中でアレックスは、背走して追いついたと思った打球を落下したり、捕殺しようとした送球が高く、打者走者や他のランナーを進塁させるなど、凡ミスが目に付くようになりました。

 

中日黄金期を支えた功労者

中日在籍時、常に中核を担っていたアレックスは、中日黄金期を支えた功労者であることは間違いありません。

毎年、春先に調子が良く開幕ダッシュに貢献していました。

そして、守備で手を抜くことをせず、バッティングでこねても全力疾走する姿は、当時の中日のチームカラーにぴったりの選手だったと思います。

 

打撃面でもタイトルを取るほどの成績は残していませんが、高いレベルで安定した結果を残し続けました。

そして、外国人助っ人では珍しい『肩』でファンを魅了する選手でした。

そういった意味でも、お金を払ってでも見てみたい選手であり、プロ中のプロと言っても良い選手だったと思います。

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